ギャラリー
縄文のムラ
千葉都市モノレール2号線と貝塚
地図を見ると、海岸から少し内陸に入った場所に縄文のムラが密集している。今日、千葉市の郊外にある大型団地の場所と見事に一致している。その大型団地を結ぶように千葉都市モノレール2号線が走っている。
赤線を上から時計回りにたどる。地図に示されていないが、天台駅前の園生貝塚をはじめ、スポーツセンター駅、動物公園駅、みつわ台駅の辺り一帯に、遺跡があったことが知られている。地図にある東寺山貝塚(県指定史跡)は、みつわ台駅に近い。加曽利貝塚は、桜木駅・小倉台駅に近い。蕨立・さら坊貝塚は千城台駅近い。
海側の赤線を反時計回りにたどると、月の木貝塚(国指定史跡)から、有吉北・南貝塚まで、点々と縄文のムラの遺跡が続く。その中心あたりに千葉市埋蔵文化財調査センターがあり、出土品(の一部)が展示されている。
【山の手】人は縄文時代から丘の上に住みそこがムラとなった。この地域をここでは「千葉(の) 山の手」あるいは単に「山の手」と呼ぶことにする。
【地図の出典】加曾利貝塚現地説明会配布資料(令和3年11月27日)。発行者 千葉市教育委員会 生涯学習部 文化財課
海から加曽利貝塚へ
縄文人が海産物を運んだであろう経路を辿る
【全体データ】
距離 16km、 上り 121m
【経路のあらまし】
千葉市みなと公園(千葉市役所のすぐ隣。中央区千葉港6)には、かつてこの辺りが魚介類の豊かな遠浅の海であったことを記した碑が建っているので、その碑を集合・出発地とすることは、本ツアーに相応しいと考える《「資料」の2つの項を参照》。みなと公園から千葉ポートパーク(中央区中央港1丁目)へ向かう。
千葉ポートパークには、ポートタワーの奥(南)に、ビーチプラザと呼ばれる場所があり、人工海浜が作られているので、そこに立ち寄り、魚介類を採取したつもりとしよう。ポートパークを発ち、京葉線(※)に沿って道なりに進むとやがて出洲港(デズミナト)地区に至る。都川の河口は出洲港地区に位置するが、防潮堤で視界が遮られ、最初の橋である大橋まで行かないと、川自体を見ることはできない。
※京葉線沿線に縄文グルメを提供するオリエンタルキッチンイタリアーナがある(中央区問屋町7)。第三者のウェブサイト(こちら)に《縄文パスタ「KAIZUCCA(カイズッカ)」》の写真あり。
都川の右岸・左岸を川沿いに、つかず離れず進む。都川公園(中央区長洲1丁目243-1)、丹後堰公園(中央区星久喜町1276)を経て、都川水の里公園(若葉区加曽利町、ほか)に至る。この公園の辺りで、都川の本川と「支川都川」と呼ばれる支川が交わる。加曽利貝塚への道は都川を遡る。尚、支川都川を少し上流へ向かうと月ノ木貝塚(中央区仁戸名町289−1)がある。
都川水の里公園から先は、都川沿いの道ではなく、川から少し離れた道を行く。北へ大きく迂回する形で、加曽利交差点(国道16号/国道126号、若葉区加曽利町)を経由して、都川に架かる青柳橋を渡り、都川と並行して走る水路沿いの自歩道を太田町まで行く。
都川に架かる太田橋を渡り、東金街道(国道126号)の坂月川橋に至る。坂月川の土手を上流の谷頭橋(やがしらばし)に向かって進み、加曽利貝塚公園に至る。
【区間】
1. (0km) みなと公園 Minato Park
2. (0.9km) 千葉ポートパーク Chiba Port Park
3. (2.8km) オリエンタルキッチンイタリアーナ Oriental Kitchen Italiana
4. (4.8km) 都川公園 Miyakogawa Park
5. (8.0km) 丹後堰公園 Tango Dam Park
6. (9.1km) 都川水の里公園 Miyakogawa Mizunosato Park
7. (10.2km) 自歩道はじめStart of biker/walker path
8. (12.2km) 自歩道終わり End of biker/walker path
9. (12.6km) 坂月川橋Sakazukigawa Bridge
10. (14.9km) 坂月川土手の終わり End of Sakazukigwa bank
11. (15.4km) 加曽利貝塚正門 Gate of Kasorikaizuka
自転車区間
サイクリングに同行する車(伴走車、オートバイなど)がある場合には、公園内など車が通れない区間、あるいは避けるべき区間があるので、ご注意ください。
山の手を縦走する
花見川区、稲毛区、若葉区、中央区、緑区の遺跡を巡る
【全体データ】
距離 33km、上り 300m
【区間データ】
1. (0km) 新検見川駅 Shinkemigawa station
2. (3.4km) 犢橋貝塚公園 Kotehashi Kaizuka Koen
3. (8.2km) スポーツセンター Sports Center
4. (9.2km) 動物公園駅 Zoological Park Station
5. (11.4km) 東寺山貝塚 Higashi Terayama Kaizuka
6. (13.8km) 荒屋敷貝塚 Arayashiki Kaizuka
7. (16km) 加曽利貝塚 Kasori Kaiduka
8. (17.4km) 花輪貝塚 Hanawa Kaizuka
9. (19.3km) 都川水の里公園 Miyakogawa Mizunosato Koen
10. (22.3km) 月ノ木貝塚 Tsukinoki Kaizuka
11. (24km) 仁戸名市民の森 Nitona Shimin-no-Mori
12. (25.6km) 大巌寺 Daiganji Temple
13. (26.6km) 生実池 Oyumi-Ike
14. (27.3km) 生実神社 Oyumi Shrine
15. (28.2km) 大覚寺山古墳 Daokakujiyama-Kofun
15. (28.4km) 千葉市埋蔵文化財調査センター Chiba City Buried Cucltural Asset Research Center
16. (29.2km) 大百池 Odoike Pond
17. (29.8km) 城の台遺跡 Shironodai Iseki
18. (31.4km) 有吉南貝塚 Ariyishi Minami Kaizuka
19. (31.7km) 有吉北貝塚 Ariyishi Kita Kaizuka
20. (32.5km) 鎌取駅
【遺跡】
犢橋貝塚(国指定史跡)、東寺山貝塚(県指定史跡)、荒屋敷貝塚(国指定史跡)、加曽利貝塚(特別史跡)、花輪貝塚(国指定史跡)、月ノ木貝塚(国指定史跡)、大覚寺山古墳、南河原坂遺跡の再現窯(千葉市埋蔵文化財調査センター)、大百池、城の台遺跡(大百池公園)、有吉南貝塚(有吉貝塚公園・有吉日枝神社)、有吉北貝塚(さくら公園)
【参考情報】『みつわ台周辺を歩く 1.東寺山貝塚と廿五里支谷』(こちら)
資料
出洲海岸埋立造成事業記念碑
海苔の養殖で栄え 潮干狩りや海水浴でにぎわい 数数の歴史をもつここ千葉市出洲海岸は 地元漁民の尊い協力をもとに 今ここに見る偉容へと変貌した
千葉県は 古来から全国有数の農水産業県であったが 工業生産は微々たるもので 毎年職を求めて他県に流出する人人が相次ぐ状態であった ために県民各層から県内に工業地帯達成の要望が高まり 昭和二十五年十一月川崎製鉄株式会社が立地してから県民一致の努力によりここに世界に類のない工業地帯が出現した
出洲海岸の埋立は 発展する千葉県の海の表玄関としての千葉港を建設し あわせて県都千葉市の新市街地の形成と再開発を図るために計画した この埋立地約六百ヘクタールの造成には 民間資本を導入する全国初の地域開発方式が採用されきわめて短期間に完成をみた
千葉港中央地区は すでに国際港千葉港の建設のいぶきがみなぎっている
さらに 最近完成をみた千葉市庁舎を中心に一大都市センターが京成されようとしている この地こそ 県都千葉市と千葉県の発展の基盤となるものと確信している
世界に伸びる千葉県の表玄関として 当地が豊かに限りなく発展するよう祈念するものである
昭和四十五年
千葉県知事 友納武人
このあたり一帯は遠浅の海だった
海苔をはじめ あさり 蛤の養殖 はぜ きす かれい いか えび かに しゃこ ・・・・・・ など
魚介類の宝庫として知られ 海水浴場としてにぎわった
そして
朝夕には 大巌寺の鵜の森数から千羽の鵜が 房総や伊豆の山々を背に飛びかい 餌を求めて集まった
創立十周年を記念して
鵜の姿をここに遺す
昭和四十八年十二月八日
千葉南ロータリークラブ
丹後堰のあらまし
丹後堰は 江戸時代に 三川村(現在の寒川町)に住む布施丹後常長が毎年かんばつに苦しむ周辺の農民を救うために私財を投じて かんがい用水路を建設したもので、丹後の名をとり「丹後堰」と呼ばれていました。
これは川戸村、星久喜方面から流れてくる都川の流れをせきとめ水を引き入れたものです。
水路は都川に沿って矢作村へ通じ、亥鼻台の裾を迂回して葛城台の下を通り三川村へと全長五キロメートル余りにも及ぶもので、工事は慶長十八年(一六一三年)一月に始まり、寛永二年(一六二五年)五月までの銃ぬ年間にもおよぶ大工事でした。
現在では、わずかに用水路の跡を残すのみですが、測量や土木技術の発達していない時代に大変な苦労して、立派な用水路を完成させた功績をたたえるとともに、永く後世に伝えるため石碑を建立する。
昭和六十三年三月 千葉市長
松井 旭
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千葉里山自転車旅友の会 渡辺栄一